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ケビンの死

価値観

愛犬がもうすぐ死ぬ。

 

今年、愛犬のケビンが13歳を迎えた。彼は僕が小学三年生の頃に家にやってきた。

来た当初、彼はとにかく可愛かった。理性的な瞳、小さいのに動きまわる俊敏さ、空気を察する能力。これだけ頭が良くて可愛い犬はいないだろうと思った。

 

年を経るごとにその愛おしさは増した。彼より賢くて、かわいい犬はいないだろうという予測は確信に変わった。

でも最近彼はヨボヨボになった。一日中寝たきりで、僕や母親が帰ってきたときくらいしかはしゃぎまわらなくなった。

見るからに元気のなくなった彼を見ていて思うのが、パピヨン平均寿命が12~14歳で、彼の命も持って一年だろうということ。ふとしたときにそれを思うと、もうなんというかただただ悲しくて涙が溢れる。少し時間が経つと、彼の死がいやでいやで仕方なくなる。

 

でもよく考えてみると、この問題はペットのものだけじゃない。僕ら人間にだって当然当てはまる。

 

ぼくたち、なんのために生きているんだろう。

どうせ百年後には死んじゃって、あとのこともよくわからないのになんで今生きているんだろう。

明日余命宣告をされたとして、連続する時間に生きている僕が悔しむとしたら、"今"生きている僕に原因がある。

 

僕は、死にゆくケビンのすべてを理解してあげられなくてホントに申し訳なく思った。悲しかった。でも、もしも彼が生きている間中ずっと幸せだったならと思うと、僕は救われた気分になる。

 

なんのために生きるか、なんて質問は愚問だ。生きることに目的はない。よくわからないまま生まれて、環境に影響を受けながらスマホをポチポチしている自分がいる。"なぜか"生きている。

 

僕は彼から幸せを教えてもらった。ただ単に幸せと定義されるものじゃなくて、この暖かくてよくわからない幸せを。

 

そしてこの暖かくてよくわからない僕にとっての"幸せ"は、価値観によるものだ。

ケビンに貰った暖かさが僕の価値観の一部で、たとえケビンが死んだとしても僕は彼から貰ったこの"温かい気持ち"を心の奥底に刻みつけて生きていくのだと思う。

 

 

僕は本当に大事なものを君から貰った。だから君とのお別れは寂しいけど、本当の本当に寂しいわけではないよ。

 

君がくれたこの暖かい気持ちは、心の奥底にしまってあるから、安心しておやすみケビン。


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